大垣2日目(宵山)
・2日目、朝食を済ませてホテルを出ました。八幡神社の近くでは早くも今夜の
宵山準備などが始まっていました。実家は街中一歩入った所で、とても便利な
場所です。
私は、20歳の時結婚のため大垣を離れてしまい、東京に・・・
・大垣は「水の都」と言われ、昔は各家庭に井戸がありました。地下水は夏は
冷たく冬は暖かいのです。昭和40年代の大垣は、郊外に大手の紡績工場が
いくつもあり、競輪場があり、日曜日は地方から集団就職で来られた若い人達
で街中はにぎやかでした。
・市の財政も豊かだったのではないでしょうか?早くに上下水道が入り、街中の
交差点は地下道になっていました。
どの地方も同じでしょうが、大垣も若い人達が地元を離れて少なくなり
お祭りも以前は平日だったのが、今は第2(土)(日)と変更になったそうです。
・夜7:30からの宵山をみに八幡神社に行き鳥居のすぐ近くで待ちました。
山車は若者10~15人で曳きまわされて、神社の鳥居の前で回転するのです。
「そ~れ」の掛け声で大きな山車を回すのですから大変!周囲からは歓声と
「がんばれ~」の声が上がり又拍手も起こりました。
・山車を神社に奉納するのは初めて見ました。皆さんの熱気で私も興奮気味!
下手な写真でしたが、シャッター押しずめでした~疲れました!
・若い頃、何も考えないで眺めた「お祭り」でしたが、今 遠く離れてみる
「ふるさと」のお祭りは、言葉に表せませんが!長い年月 守って下さる
土地の方々に感謝です。
・今日も、ステキな写真は市のホームページのを、お借りしてのせました。
3日目、大垣を後に同居人の故郷、京都に向いました。この京都には私の兄も
眠っているため、お参りをすませてから同居人の実家に・・・
・義兄も義姉も、元気ですが高齢です。逢うたびにこれが最後かな?の思いが
よぎります。
姉は、一生を「バレエ」に費やした人生でした。一代で立派な「バレエ団」
をつくり上げました。そのかいあって、「瑞宝章」を受章 若い頃怖かった
姉も、成し遂げた満足感からか?穏やかな良い表情の顔で、今は大御所と
してバレエ会に貢献しているようです。
・京都は15日が「葵祭り」です、ゆっくりしたいのですが混雑を考えると
その前に帰ることにしました。
宵山準備などが始まっていました。実家は街中一歩入った所で、とても便利な
場所です。
私は、20歳の時結婚のため大垣を離れてしまい、東京に・・・
・大垣は「水の都」と言われ、昔は各家庭に井戸がありました。地下水は夏は
冷たく冬は暖かいのです。昭和40年代の大垣は、郊外に大手の紡績工場が
いくつもあり、競輪場があり、日曜日は地方から集団就職で来られた若い人達
で街中はにぎやかでした。
・市の財政も豊かだったのではないでしょうか?早くに上下水道が入り、街中の
交差点は地下道になっていました。
どの地方も同じでしょうが、大垣も若い人達が地元を離れて少なくなり
お祭りも以前は平日だったのが、今は第2(土)(日)と変更になったそうです。
・夜7:30からの宵山をみに八幡神社に行き鳥居のすぐ近くで待ちました。
山車は若者10~15人で曳きまわされて、神社の鳥居の前で回転するのです。
「そ~れ」の掛け声で大きな山車を回すのですから大変!周囲からは歓声と
「がんばれ~」の声が上がり又拍手も起こりました。
・山車を神社に奉納するのは初めて見ました。皆さんの熱気で私も興奮気味!
下手な写真でしたが、シャッター押しずめでした~疲れました!
・若い頃、何も考えないで眺めた「お祭り」でしたが、今 遠く離れてみる
「ふるさと」のお祭りは、言葉に表せませんが!長い年月 守って下さる
土地の方々に感謝です。
・今日も、ステキな写真は市のホームページのを、お借りしてのせました。
3日目、大垣を後に同居人の故郷、京都に向いました。この京都には私の兄も
眠っているため、お参りをすませてから同居人の実家に・・・
・義兄も義姉も、元気ですが高齢です。逢うたびにこれが最後かな?の思いが
よぎります。
姉は、一生を「バレエ」に費やした人生でした。一代で立派な「バレエ団」
をつくり上げました。そのかいあって、「瑞宝章」を受章 若い頃怖かった
姉も、成し遂げた満足感からか?穏やかな良い表情の顔で、今は大御所と
してバレエ会に貢献しているようです。
・京都は15日が「葵祭り」です、ゆっくりしたいのですが混雑を考えると
その前に帰ることにしました。
by fukupon-0410 | 2013-05-16 20:42